後悔日和

わかりみ

嘘つきバービー学 概論(イントロダクション)

突然だが、皆さんは「嘘つきバービー」というバンドはご存知だろうか?

 

知らない?

 

ならば「ニガミ17」というバンドはご存知だろうか?

 

名前くらいは聞いたことがある。ほうほう。バズってるらしい。ふんふん。メンバーの女の子がテレビに出てた。なるほどなるほど。

 

では、このふたつのバンドのフロントマンが同一人物だということはご存知だろうか。

 

そんな彼の名は岩下優介。作詞作曲演奏をこなす。長崎は佐世保出身。ちょっと前まで肩にかかるほどの長髪ボブヘアーがトレードマークだった。

 

嘘つきバービーではベースボーカルを担当。子供の見る夢のような独特すぎる世界観の歌詞と、なぜ歌いながらこんなうねるベースが弾けるのか、全く理解が追いつかないくらいのスピード感、そして過剰な熱量を持ったステージングが特徴的だった。

 

ちなみに、嘘つきバービーはインディーズでの活動を経て、2011年にはメジャーデビューを果たすも、2013年に解散してしまう。

 

解散後、岩下は、新たなバンドを組んでみてもうまくいかず、一時期は音楽業界からの引退も考えたようだが、嘘つきバービーのファンで、のちにバンドメンバーになる平沢あくびsyn.Vo)らの説得により再びバンドを志すようになる。

 

岩下・平沢に加え、交流のあった元ミドリの小銭喜剛Dr)と、セッションをメインに活動していたイザキタツBa)というメンバーが揃い、2016年に「ニガミ17」は結成された。ここで岩下はベースボーカルからギターボーカルへパートチェンジする。(これ、当時はなかなか衝撃的だった)

 

そして、このときに岩下は何よりも「売れる音楽がやりたい」という強い意志があったという。

 

そこから先の快進撃はご存知の方も多いだろう。

 

活動当初こそ「ニガミちゃんという女の子の17才の1年間をバンドで一生かけて表現する」というコンセプトを軸にしたライブを行なっていたものの、MVYouTube上で公開してからは一転。音楽的なコンセプトである「変態かつお洒落」な音楽に魅了されるファンが増えていったのだ。

 

 

 

 

 

化けるレコード

化けるレコード

  • ニガミ17才
  • J-Pop
  • ¥255

 

これは嘘つきバービー解散後、それまでの地肩がある状態で、岩下がそれまで聴いていなかった、いわゆる「売れていてお洒落」な音楽(ex.サカナクションSuchmosなど)を聴き始めて衝撃を受けたことによる変化が大きいとされている。

 

また、元女優という経験を持ち、映像映えする平沢のキャラクター(とてもユニークな趣味を持っていることも)もバンドの知名度を大きく向上させた一因だろう。

 

そして、セッションプレイヤーとして鍛えられたイザキ、いわゆる「関西ゼロ年代」の時期からドラムを叩きつける小銭による盤石なリズム隊も忘れてはならない重要要素だ。

 

また、MV自体も非常に完成度が高かった。門外漢なのであまりうまく説明ができないがシュールかつカッコいい印象を覚える映像に仕上がっていると思う。

 

これらの要素がうまい具合に絡み合って、音楽事務所に無所属(らしいですよ)の彼らは今、バンドシーンの中でも注目される存在になっているのだと感じる。

 

現在進行形で続いているニガミ17才はこれからの人に任せる(もちろん私も聴くけれど)として、私はニガミ17才の素地ともなった嘘つきバービーの魅力についても皆さんに紹介したくこの文章を書いているのだ。ぼくはこのバンドに死ぬほど影響を受けたから。

 

しかしあまりにも長くなりすぎた。個人的嘘つきバービーの魅力については次の回で。

 

では!!!(テンションで書いたので後でなおしまーす)

さよなら、また今度ね『P.S.メモリーカード』(2013)

2010年に結成された男女混成4ピースバンドの1stフルアルバム。風変わりなバンド名はジョンレノンの雑誌インタビューに書かれていたアオリ文を引用したとのこと。

2012年「RO69JACK 2012」で優勝し、彗星のごとくシーンに登場した彼ら。ジャンクかつポップな楽曲を武器に、自主製作MVを量産していた彼らには初期の神聖かまってちゃんを想起させられる。

同年にリリースされた初音源の『菅原達也菊地椋介佐伯香織渋谷悠』(メンバーの名前そのまんま)は死ぬほどローファイで、爆音で聴いてたら耳がバカになるんじゃないかな?と思うくらいに音の棲み分けがめちゃくちゃな一枚だったけれど、本作は程よくジャンクさが抜け、聴きやすい音作りがされている。

このバンドが一筋縄ではいかない理由として、まずメンバーのキャラクターの濃さがある。やたらハイテンションでギターと鍵盤を行き来するボーカルに、長身でいつもジャージを着ているギタリスト。女性ベーシストはいつも半袖短パンでニコニコしているし、ドラマーはカエルの被り物をしながら演奏する。正直、キャラクターが多重衝突事故を起こしているのかと思うくらいに過剰だ。

そして、もうひとつの理由としてあるのが、ハチャメチャなテンション感のある日本語の歌詞。いくつか例を挙げてみる。

忌野清志郎をコントロールするなんてしちゃいけないことをしてしまいたい」(僕あたしあなた君)

「神々しい泉 ロック・イン・ザ・リッスン ずっと晒し、連邦 Better she is この肉ベタベタ 御茶ノ水 ぼくの大学生」(窓娘)

忌野清志郎をコントロールする、という言葉の発想が常人にあるか、そしてそれを歌詞にするかという問いがあるのなら、答えはおそらくノーだろう。しかし、菅原達也はそれをいともたやすく歌詞の中に放り込む。「窓娘」に至っては歌詞のど頭からこの状態だ。多分語感のみで書かれているのだろうけど、言語野狂ってるんか!と言いたくなる文章だ。

しかし、菅原の歌詞の本当の魅力はこのテンション感から来る圧倒的な「キラキラ感」にあると自分は思う。

「僕はいつだって風呂上がりのような顔で行く 銀行や携帯の支払いや全部二人で行きたい」(輝くサラダ)

月がきれいだなあ 星がかわいいなあ 財布なくしても 世界は素晴らしい!!」(僕あたしあなた君)

見てください、この圧倒的なキラキラを。文法や定型を超越して、矢継ぎ早に繰り出される言葉たちに、いつもやられてしまう。某所のレビューで「Base Ball Bear以来の強度のあるバンド」と書かれていたのだけれど、ほんとその通りだと感じた。

決して演奏がめちゃくちゃうまいバンドではない。だけども、このメンバーが放つキラキラ感はとてつもない。とにかく心から楽しそうで、わけわかんなくて、ぐっちゃぐちゃな笑顔みたいなそんなバンドが、さよなら、また今度ねの魅力なのだ。

惜しくも次作『夕方ヘアースタイル』(2014)のリリース後、活動休止を経て、2016年に解散に至ってしまった彼ら。解散後は音楽を続けるメンバーもいれば、一般職に就いたメンバーもいる。

個人的には、このメンバーが紡ぎ出す理屈や理論をねじ伏せるくらいのわけわかんないくらいなポップさをもう少し見ていたかった。

けれど、そのキラキラ感を出せるのはごくわずかな期間で、それをもしかしたら「青春」とか呼ぶのかもしれない。奇跡的なバランス感によって成り立っていたバンドだったし。けれど、このミラクルは音源の中では不変だし、今日もプレーヤーで誰かがこれを聴いているんだろうなあと考えれば、まあ、このキラキラ感は不滅なんじゃないんすかね。おわり。


P.S.メモリーカード

P.S.メモリーカード










SPARTA LOCALS『Leecher』(2008)

2016年にオリジナルメンバーで復活を果たしたポストパンクバンド、SPARTA LOCALSの7thアルバム。

オリジナルメンバー・中山昭仁の脱退後、サポートメンバーを迎えてバンド活動を継続していたスパルタに正規メンバー・梶山剛(Hermann H.&The Pacemakersなど)が加入して初となる音源。

これまで全曲の作詞作曲を担ってきた安部コウセイ(Vo.G)に加え、梶山も作詞作曲を行う(彼はギターも弾くマルチプレイヤーでもある)という新しい試みが行われた。

梶山のドラムは前任の中山と比べ、比較的重量のあるビートを感じるもので、某所でのレビューでは「ドラムは中山がいい」みたいな意見もあったのだけれど、個人的には好みな感覚。中山の全力でどこか「軽さ」を感じるドラムもいい(特に初期の楽曲には欠かせない要素だと思う)が、これはこれでスパルタ独自のキレ味が増しているように感じる。

で、梶山の作る楽曲もまたビシバシ来るカッコよさを感じるのだ。リード曲「パレード」のキレキレ加減は他の楽曲に引けをとらないし、2曲目「MONSTER」のテンション感はスパルタ随一ではないだろうか。しっかりとボトムを支える安部光広のベースもカッコいい。「チャランボ」の曲展開も好き。けど共作曲の「Good News」は地味かな。

安部の楽曲もこれまでのアルバムとはまた違うカラーを展開している。「俺、君のことが嫌いさ だから手を繋いでいいかい?」というサビが印象的な「トラッシュボーイ」に伊東真一(G)のソロが耳に残る「NEW HERO」、「JET JUICE」はついつい口ずさみたくなるポップなメロディが魅力だし、ラストの「氷のムーン」はバンド全体の乾いたグルーヴ感が力強く滲み出ていて実にたまらない。


結局、アルバムとしては本作が(一旦の)最終作となり、シングル『水のようだ』(こちらも梶山作詞作曲)が最後の作品となってしまったSPARTA LOCALS安部コウセイ曰く「ライブで行ったアメリカで大喧嘩して解散した」とのことで、2009年9月をもって一度解散する。

コウセイは伊東とともにHINTOを結成し、スパルタ時代とはまた別のメロウかつエフェクティブなアプローチを展開。一時期音楽から離れていた光広も後に合流し、スパルタの3/4のメンバーが揃う結果となった。

そして2016年12月にまさかまさかのカムバック。しかも、カイロプラクティッククリニックの院長になっていたオリジナルメンバー、中山昭仁を引き連れて。今年上旬には待望の新譜のリリースも予定されている。

中山の長いブランクや、メンバーの意向もあり、この時期の楽曲の演奏は今現在は行われていないそうだが、できればこれらの楽曲群もいつの日かライブで演奏されることを期待したい。

しかし、気がかりなのは梶山の現在の動向がつかめないこと。この時期の楽曲に欠かせない存在であった彼とわだかまりのない形で演奏することになれば良いのだが…彼が作詞作曲を行なっていたという事実が意外と知られていないので、是非是非知っておいてほしい。彼もいい曲を残しているのだということを。


Leecher

Leecher

挫・人間『苺苺苺苺苺』(2013)

2008年、熊本にて「全人類への復讐」を旗印に、下川リヲ(Vo.G)を中心に結成されたパンクバンド(だとぼくは思っています)。

ナンバーガールINUのコピバンを経て、筋肉少女帯、たまの要素、そしてバンド名にもまんま現れているさまざまな「挫折」を経て、それを代価に(?)「閃光ライオット」に出場し、特別賞を獲得。メンバーチェンジを経た後にリリースされた1stアルバム。

呪怨とリビドーと憧れと恋とその他なんやらかんやらを煮詰めたようなサウンドと歌詞はある意味で凶悪。下川本人もあまり聴かないらしい。

ど頭の「人類」は大学生(または糞人間共)に対する、妖精・下川リヲからの宣戦布告だし、「タマミちゃん」のナゴム系×メンヘラ的な掛け合わせは他にできる人がいるのだろうか?という組み合わせだし。

かと思えば「キス!キス!キス!」はねじれたポップソング。そして、その後の「何故だ!!!」の落差が半端ない。「初恋の君はGLAYのコピバン野郎と恋だ!合体だ!」…悲しいかな、この歌詞が実話ベースだということが。冒頭の怒涛の語り(もはや悲鳴に近い)がとても好きだ。このエネルギー、ほかにある?

以前、偶然下川が行なっていたツイキャスにコメントをしたのだが「うったまがった節」の歌詞にホームセンター・ナフコが登場するのは自分でもよくわからないとのこと。後半の歌詞、ビリビリきます。

「ちんちん大臣」はナンセンスソングなのかな?このレコーディング後に脱退した山口慎太朗(G)(後に公式HPにて下川の妹の彼氏だったことが明かされる)の力の抜けたソロ、この空気感が好きです。ライブアレンジもいいよね。あとアベマコト(Ba)がめっちゃいい声でワンフレーズ歌うとこ。

「ピカデリーナ受精」のカッティング、エッジの効きまくったベースとドラムの掛け合いもビシビシくる。このアルバムに参加しているオリジナルメンバー・吉田(Dr)のプレイが好きだったので、またどこかで聴けないかしらん。

「天使と人工衛星」は純粋なポップソング。良いパンクバンドには良いポップソングが一曲はある(と思っている)。「気づかれぬようにドキドキも忘れて ナイショにしたいよ!」ってアホみたいによくないですか???90年代のヒットソングにありそうだよ。

ラスト3曲の流れもすばらしい。「もしも私にお金があったら すぐにあなたを孕ませたでしょう」なんて歌詞から始まり、壮絶な轟音で展開される「サラバ17才」は非の打ち所がない鬱屈、焦燥感が見事に昇華されている。「天国」はシンプルにいい曲だ。素直な歌詞、良いメロディ、グランジですなあ。「式日」は下川の実妹(らしい)がボーカルを取るタイトルトラック的な小品。せつない。なんだこれは。このアルバム一枚でこんなに感情を振り回されるのか…となってしまう。このピュアネスと邪悪さのさじ加減ににおれは毎回やられてしまい、そしてまた聴いてしまうのだ。

スペシャルサンクスに「インターネット」って書いてるし、浅っさい自分の知識でどれだけ彼らのことを書けているかわからない。むしろ解釈違いかもしれない。

けれど、このアルバムに込められた熱量、これだけは誰が聴いても確かだ。サブスクでも簡単に音楽を聴ける時代だけれど、挫・人間はCDを買って歌詞を読んで、そしてライブにも足を運んでほしい。インターネットに収まりきらないリアルもあるはずだと自分は思っているし、円盤には収まらないロマンとかエネルギーとかもあるはずだ。てか実際にあった。けどインターネットはやっぱり大好きなのでした。しかしスマホでブログって意外と書けますね。おわり。


苺苺苺苺苺

苺苺苺苺苺


きどりっこ『きどりっこ』(1989)

1980年代後半〜90年代初頭にかけて活動したテクノポップバンドの1stと2ndを2in1にまとめたアルバム。(オリジナルはアナログ盤)


初期メンバーの松前公高(Key)は、のちに『おしりかじり虫』の作曲を担当し、シンセサイザーの入門書を執筆するなど、現在も勢力的な活動を続けている。


トータルとして、とにかく「バブルやな〜」という感じがそこら中に漂っている。

作曲を担当する佐藤隆一(Key)のプログレポップ×童謡的な楽曲群と、ボーカル・作詞を担当する、てんちゆみの変幻自在ではっちゃけ感のあるボーカルスタイル、そして天衣無縫で80年代感溢れる歌詞。これが2018年のいま現在聴いても、なぜか中毒になってしまう。フシギ。


「大胆不敵に 回転ベッド」とか「涼しい顔でずっとゴージャスしようね」とか、現代の感性では逆立ちしても書けないような詞とチープで懐かしいシンセ全開のサウンドから醸し出される雰囲気から、他にはない、きどりっこオンリーワンの世界観が遺憾なく発揮される。


その中に、香辛料的に民話チックでファンタジックな楽曲が織り込まれているものだから油断がならない。


聴く人を選ぶことは間違いない。しかし、その世界に一度ハマったらなかなか抜け出せない。飛び込むか、飛び込まないか、ぜひ一度聴いて判断してもらいたい。


と言いつつも、残念ながら現在廃盤。なぜかAmazonにもユニオンにも扱いがないという謎盤。わたしはメルカリで買いました。

次作『常夏姫』(1991)は中古市場でもめったに見かけない希少盤。しかし、現在はYouTubeでほぼすべての音源が聴取可能。文明ってすごいね。


https://youtu.be/97v2UZEh0z8


あと、キャプテンレコードって宝島社のレーベルなんですね。ゆら帝のインディー盤を出したキャプテントリップとごっちゃになってた。


しかし、佐藤さんとてんさんって今何やってるんでしょうなあ…


おわり。






たま『たま』(1996)

1990年に「さよなら人類」で鮮烈なデビューを果たした、アートフォーク(?)バンド、たまの7thアルバム。このタイミングでのセルフタイトル!すごい。


前年末に「さよなら人類」の作詞作曲を担当した柳原幼一郎(Key.Vo)がソロ活動に専念するために脱退、3人編成の新体制・「3たま」として新たなスタートを切ることとなった、たま。


本作はその新体制初となる音源。従来のたまの特徴である、耳なじみの良い美しいコーラスとアコースティックを基調とした楽曲はもちろん、実験的な試みを施した楽曲も多く収録。


特に、この音源では石川浩司Per,Vo)の楽曲が出色である。「デキソコナイの行進」は個人的には人生賛歌だと思うし、「青い靴」の幻想的な世界観はこのアルバムの楽曲の中でも随一だし、「全裸でゴ・ゴ・ゴー」は彼お得意のナンセンスさがタイトルから全開だ。


知久寿焼G.Vo)もどこかエロチックな「あんてな」や没入感に満ちた「ねむれないさめ」で知久ワールド全開。『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマとして書き下ろされた「あっけにとられた時のうた」は原作者・さくらももこが歌詞を担当。シングルカットされ、お茶の間の子供達にも親しまれる楽曲となった。


滝本晃司Ba.Vo)の楽曲群はひとことで言うと「夏」。本作以降、音符に対して言葉数を多く乗せた楽曲が多く見られるようになり、その片鱗は「なぞのなぞりの旅」でも確認できる。ヨーロピアン調な「レインコート」のコード感やアグレッシブな「終わりのない顔」の曲展開もいちいち凝っていてステキ。プレイ面でも「青い靴」の歪んだベースソロが圧巻だ。


ゲストミュージシャンとして参加した斎藤哲也Key)や栗コーダーカルテットの面々も好演を残した。特に斎藤が担当した「青い靴」のバックで暴れ狂うオルガンや「全裸でゴ・ゴ・ゴー」でのキーボードソロは何度聴いてもカッコがよろしい。


個人的には、「3たま」となってからのアルバムの中でも、12を争うくらいに好み。3人になっても飽くなき音楽への挑戦(この後、大胆なシンセの導入や、超アコースティック編成「しょぼたま」での活動へと続く)と、楽曲のクオリティのバランスが見事に均衡が取れた一枚。


惜しむべくは、本作と次作『パルテノン銀座通り』そして2枚をまとめたベストアルバムが廃盤となっていること。なかなかよいアルバムなのでぜひなんらかの形で聴いてほしい。求む再発!!!


たま

たま






bloodthirsty butchers『LUKEWARM WIND』(1994)

1994年リリースのbloodthirsty butchersの3rdアルバム。
初のメジャーリリース、レーベルはなんとTOY'S FACTORY。今じゃ考えられない組み合わせだなあ…
ちなみにジャケットのデザインが3種類あるそう。個人的には1999年のリイシュー盤のデザインが好き。(現在はすべて廃盤)

ブッチャーズといえば、次作『kocorono』(1996)が非常に有名だけど、個人的には、このアルバムを強く推したい。
1st『BLOODTHIRSTY BUTCHERS』(1990)から、2nd『I'm standing nowhere』(1993)、そして本作まで続いた、ポストハードコア的な流れの集大成的な作品だからだ。

サウンドは暴力的なまでの轟音。それもシューゲイザーのように美しい轟音ではなく、荒削りながらもどこか繊細さを感じる音塊が耳に飛び込んでくる。
そして、対照的に歌詞で紡がれる言葉はとても悲痛だ。

「つかむ嘘 先のことなど すべて見えている なんだかかなしい」(なんだかかなしい)

メジャー1stの1曲目で、こんな歌詞を持ってくるだろうか。自分だったらできない。
個人的にはブッチャーズを語るうえで、「轟音」と「叙情」という言葉が欠かせないと思っている。
しかし、このアルバムにはそれを突き抜けた「激情」を感じるのだ。

吉村秀樹射守矢雄小松正宏が生成する音と叫び(歌ではない。これはもはや叫びだ。)を聞き、歌詞の言葉を読んで、荒涼とした心象風景が徐々に見え始める。

「紙に今日を描く 今日を明日に写す 一行進んで繰り返す 毎日が同じ繰り返し」(ドント・ブレイク・ミー)
「昨日は死に 今日は生きて 明日を待つ 君はひとり」(トゥディ)
「君はその手を広げ 窓から海に飛び込む 違う世界を駆け抜け 僕を奈落の底へ」(ロスト・イン・タイム)

鬱屈とした歌詞世界だ。カオティックな轟音とともに、これらの言葉が容赦なく突き刺さる。
『korocono』は、まんま「季節」を感じるのだけれども、本作は救いようのない「痛み」も感じるのだ。

この「激情」や「痛み」という言葉に感じるものがあるのならば、とりあえずこのアルバムを聴いてほしい。
そして轟音に埋もれてほしい。可能な限り、大音量で。

しかし、とことんメジャー1stらしからぬアルバムだ。

ルークウォーム・ウィンド

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